【巨艦の再生】Intel、新CEOが描く「AI時代の覇者」への航路図。ムーアの法則を超えた変革の物語
かつて半導体業界の象徴であり、ムーアの法則を牽引してきた巨人Intel。その輝かしい歴史も、近年はクラウド、モバイル、そしてAIといった連続する巨大な技術の波を取り逃し、大きく影を潜めていました。官僚的な階層に覆われた組織、遅れる意思決定、そして過去の成功体験への過度な自信が絡み合い、停滞を深めていたのです。そんな傷ついた巨艦Intelの舵取りを任されたのが、2025年3月に最高経営責任者(CEO)に就任したリップ・ブー・タンです。彼は半導体業界とベンチャー投資の両方で長年実績を積んだ「再生請負人」であり、2022年には半導体業界団体から最高賞を受けています。なぜ彼は、あえてこの困難な道を歩むことを選んだのか。その壮大な挑戦の物語が今、始まろうとしています。
新船長の着任:愛着と危機感から始まる改革
タンCEOが繰り返し語るのは、「この企業への強い愛着」と、「現在の姿は本来あるべき姿ではない」という強い問題意識です。就任時に彼が直視したのは、象徴的なブランドでありながら、AI向け計算基盤の主役が別の企業に移り、データセンターやクラウド、アクセラレーターの分野でも存在感が薄れていたという厳しい現実でした。彼はこの状況を、過去の栄光に安住するうちに、後期の波が何度も目の前を通り過ぎていった状態と捉えています。だからこそ、彼の改革は、技術戦略よりもまず、組織そのものの「背骨」を変えることから始まったのです。
組織改革:巨大な「背骨」を叩き直す
タンCEOが最初に着手したのは、経営と現場の間にあった何層ものマネジメント階層を削り、意思決定のルートを短くし、誰が責任を持つのかを明確にする「フラット化」の推進でした。彼の哲学は「肩書きではなく現場の知恵」を重視すること。就任後、彼は6層も7層も下の技術者に直接会いに行き、何がうまく機能していないのかを徹底的に聞き出しました。アイデアや問題意識を持つ技術者がいても、中間管理職の層で止まり、トップまで届かないという硬直した組織構造を打破しようとしたのです。形式的な報告書では見えない摩擦や非効率を炙り出すため、経営トップが自ら組織の深部に入り込む。この顧客からの厳しい評価レポートを改善の起点とする彼の姿勢は、巨大企業にありがちな「プライドが邪魔をして不都合な真実から目をそらす」態度からの決別を自らの行動で示そうとするものです。
技術戦略:XPU時代への羅針盤
Intelの技術戦略の中心には、AIが据えられています。半導体業界では長らくCPUが主役でしたが、今やGPUや専用アクセラレーターがAI処理を支え、異なるタイプのプロセッサーを組み合わせる「XPU」アーキテクチャが主流になりつつあります。タンCEOはこの流れを「XPUの時代」と表現し、CPU、GPU、そして用途特化型プロセッサーを組み合わせて消費電力と性能を最適化する方向へ舵を切ろうとしています。XPUという概念は、単一のチップで全てを賄うという発想からの脱却を意味します。Intelがこの領域で存在感を取り戻せるかどうかは、ハードウェアだけでなく、ソフトウェアと開発者エコシステムを含めた総合力にかかっているのです。
協調とリスク:AI時代の「共創」モデル
タンCEOは、競合企業との関係も「敵か味方か」という単純な図式で見ていません。激しい競争相手である企業とも、時には協業の枠組みを築き、パッケージング技術やIPの提供などで連携する姿勢を見せています。AI時代の半導体は、一社だけで全てを完結させるよりも、相互接続性や標準化、複数企業の強みを組み合わせたプラットフォーム構築が重要になるという彼の見立てに基づいています。その裏側には、「計算されたリスクを取る」という哲学があります。リスクをゼロにするのではなく、リターンと失敗のコストを見極めた上で大胆に踏み出す。ベンチャー投資の世界で培った目利きと企業経営での経験を組み合わせ、Intelでも大胆さと慎重さのバランスを取ろうとしています。
製造部門の再定義:「ファウンドリー」への転換と国家レベルのレジリエンス
製造部門の扱いは、この改革の象徴です。市場の一部には製造部門を切り離して設計に集中すべきだという意見も根強いですが、タンCEOは製造部門を手放さない方向へ舵を切っています。製造を安易に手放せば、短期的な収益は改善しても、国や産業全体の技術的自立性が損なわれ、長期的には大きなリスクになると見ているからです。そこで彼が掲げているのが、「国家レベルのレジリエンスと技術的試験を支えるファウンドリー」への転換です。従来のIntelは、自社製品を自社工場で作る垂直統合型の色彩が強かったですが、今後は他者を顧客として受け入れる開かれた製造サービス事業へと変貌させようとしています。世界のAIサプライチェーンの中心に食い込むためには、製造拠点を単なるコストではなく「戦略資産」として活用する発想が欠かせません。Intelが本格的なファウンドリー事業者として信頼を勝ち取るには、プロセス技術だけでなく、納期、歩留まり、サポート体制など総合的なサービス力が問われます。タンCEOが顧客起点の製造ビジネスへの転換を強調するのは、その難易度を理解した上での決意表明と言えるでしょう。
未来への航海:短期的な成果を超えた文化の変革
これらの改革は、宣言しただけで現実になるわけではありません。タンCEO自身も、Intelの再興が一夜にして実現するとは見ていません。AI向け製品の年間開発サイクルを打ち立て、戦略提携を積み重ね、組織文化を変えていくには、少なくとも数年単位の時間が必要だと認識しています。そのため彼は、短期的な株価の動きよりも、「好奇心とスピード、目的意識」を軸にした文化作りを優先しようとしています。過去の成功モデルにしがみつくことなく、技術者が失敗を恐れずに試行錯誤できる環境を整えることが、AI時代の競争力を左右すると見ているからです。AIを「人間の仕事を奪う脅威」としてではなく、「学習と創造性を拡張する道具」として捉える認識も、社内に浸透させようとしています。タンCEOの視線は、企業の枠を超えた社会的課題にも向いており、半導体とAIが医療や福祉の分野で果たしうる役割も意識しています。
結び:巨大組織がAI時代にどう自らを作り替えるか
Intelが歩んできた道を振り返ると、今回の変革は単なる経営者交代ではなく、企業の存在意義そのものを問い直すプロセスだと言えます。かつての成功体験が重荷となり、外部環境の変化に適応できなかった企業が、再び必要とされる存在に戻ることができるのか。その試金石となるのが、タンCEOが掲げる「謙虚さ」と「計算されたリスク」、「開かれた協調」の3本柱です。この企業が、よりふさわしい姿を取り戻せるかどうかは、AI向け製品の製造やファウンドリー事業の受注状況といった目に見える指標だけで決まるわけではありません。現場の技術者が誇りを持てる文化が復活するか、顧客が再び信頼を寄せるか、そして社会全体からなくてはならない存在と再認識されるかどうかが、本当の意味での評価軸となるでしょう。タンCEOの挑戦は、シニセティック企業の再生を超えて、巨大組織がAI時代にどう自らを作り替えるかを示す一つの実験になりつつあります。夜明けはまだ遠い。しかし東の空には、確かに最初の光が差し始めています。

