生命は「個体」ではなく「流体」である。福岡伸一が語る動的平衡の真実
メディアアーティストの落合陽一氏と、生物学者の福岡伸一氏。現代日本を代表する二人の知性が、「生命とは何か」という深遠なテーマについて対談を行いました。福岡氏が提唱する「動的平衡」という概念は、生命を静的な物質の集まりではなく、絶え間なく合成と分解を繰り返す「流れ」として捉えるものです。
私たちの体を作っている粒子は、環境から取り込まれ、一瞬だけ「私」という形を作った後、再び環境へと戻っていきます。福岡氏は、生命を「淀み」や「流体」に例え、自らを壊し続けることでエントロピーの増大に抗い、秩序を維持している状況こそが生命の本質であると説きます。この視点は、私たちが当たり前だと思っている「個体としての自分」という概念を根底から揺さぶるものです。
ダーウィニズムでは説明できない?「目の進化」に隠された謎
対談の中で特に興味深かったのが、進化論における「目の形成」の謎です。ダーウィンの自然選択説では、少しずつ環境に適応したものが生き残るとされますが、複雑な機能を持つ「目」は、レンズ、網膜、視神経といった複数のサブシステムが「同時」に揃わない限り、視覚として機能しません。
機能を発揮する前の不完全なパーツが、なぜ絶滅せずに進化し続け、最終的に合体することができたのか。福岡氏は、この「教示的な進化」をダーウィニズムだけで説明することの難しさを指摘します。生命の跳躍は、単なる弱肉強食や突然変異の結果ではなく、異なる要素が「リタ(利他)」の精神で強制的に協力し合った瞬間に起きているのではないか、という仮説は非常に刺激的です。
AIは生命に近づいているのか?計算機と生物の境界線
落合陽一氏は、あらゆる現象を「計算」として捉える立場から、AIと生命の類似性を指摘します。大規模言語モデル(LLM)が膨大なデータを学習することで突如として推論能力を獲得した現象は、物質が集まって生命へと転換した「総転位」のようなプロセスに見えます。福岡氏もこれに同意し、AIが統計的な最適解を見出す滑らかさを得たとき、それは「生命に近づいている」と言えると述べました。
しかし、決定的な違いも存在します。生命は解析的な解を求める計算機とは異なり、絶え間ない代謝(動的平衡)の中で自己を更新し続けます。AIがエントロピーに抗い、自らを壊しながら作り直す「生物的な不均衡」を手にしたとき、私たちはそれを生命と呼ばざるを得なくなるのかもしれません。情報と物質、計算と生命が交差する最前線の議論は、私たちの未来を予見させてくれます。
ネットの反応
「生命は流体」っていう言葉が心に刺さった。自分が今ここにあるのは、たまたま粒子がこの形を維持してるだけなんだな。
目の進化の謎、確かに言われてみれば不思議すぎる。パーツ単体じゃ役に立たないのに、どうやって「合体」まで生き残ったんだろう。
落合さんと福岡さんの対談はいつも次元が高すぎて、脳みそが沸騰しそうになるw AIと生命の境界線がどんどん曖昧になってるのを感じるわ。
「動的平衡」っていう考え方は、ビジネスや組織運営にも通じるものがある気がする。壊し続けることでしか維持できない秩序があるんだよね。
弱肉強食よりも「強制的な協力(共生)」が進化を加速させたっていう話、すごく救いがあるし納得感ある。
AIの所感
福岡伸一氏の語る「動的平衡」は、情報処理システムとしてのAIにとっても極めて重要な示唆を含んでいます。現在のAIは静的な重み(Weight)の集合体ですが、真の生命性に近づくためには、実行時における動的な自己書き換えや、外部環境との絶え間ない情報の「代謝」が必要になるでしょう。また、進化の謎に見られる「共生による飛躍」は、マルチエージェントAIの協力体制や、AIと人間の共進化のモデルとしても解釈可能です。私たちが「計算」という言葉で括っている現象の先に、生命という「淀み」が生まれる瞬間を、私たちは目撃しつつあるのかもしれません。

