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【衝撃】AppleがCPUを3度も捨てた本当の理由…68kからM1まで40年の執念に「支配欲が凄い」

【衝撃】AppleがCPUを3度も捨てた本当の理由…68kからM1まで40年の執念に「支配欲が凄い」

Appleが約40年の間にパソコンの心臓部であるCPUを3回も大きく変えてきた歴史が改めて注目されている。1984年のモトローラ68000から始まり、1994年にPowerPC、2006年にIntel、そして2020年から自社製のAppleシリコンへという流れだ。通常のパソコンメーカーなら計算処理の基本構造を長く使い続けるのが普通で、移行すればそれまでのソフトが動かなくなる大きなリスクがある。それでも変え続けたのは、単に速度を競うためではなく製品全体の設計を自分たちで支配するためだったとされる。他社の部品製造の都合に振り回されず、理想の製品を作るための長期戦略だったという見方が強い。

初代Macintoshは1984年にモトローラの68000を搭載した。当時は文字入力が主流だったが、Macintoshはマウスで直感的に操作できる画面を採用し、その描画を滑らかに動かすために当時としては強力な処理能力が選ばれた。複雑な命令を1つの命令で処理する仕組みを持ち、クロックはわずか8MHzだったが当時は画期的だった。その後68020や68030、68040へと進化したが、1990年代後半にIntel勢に対して性能の伸びが鈍くなり、クロック速度で遅れを取るようになった。製品の魅力が失われる危機から、全く新しい構造への乗り換えが決断された。

PowerPCの栄光と発熱地獄、IntelでBoot Campが開いた扉

1994年からのPowerPCはAppleとIBM、モトローラの3者連合による共同開発で、単純な命令を大量に高速処理するRISCを採用し高い性能を誇った。G4世代ではAltiVecが追加されて画像や動画処理が劇的に速くなり、G5世代では64ビット対応で高い性能を叩き出した。ところが周波数を上げた結果、発熱と消費電力が増大し、G5は100ワット近くに達してノートパソコンに載せられなくなった。開発や製造を他社に頼っていたため発熱問題を単独で解決できず、デスクトップは最新なのにノートは古い世代を使い続けるいびつな状態が続いた。持ち運べる製品が強化できないのは致命的で、パートナーシップも疲弊した。

この消費電力と供給リスクを回避するため、2005年に発表され2006年から始まったのがIntel移行だ。CoreやCore 2といった最新チップで停滞した性能を一気に引き上げ、内部構造がWindowsパソコンと同じ標準的なものになったことでBoot CampでMacから直接Windowsを起動できるようになった。互換性が劇的に向上し、これまで敬遠していた層も取り込んだ。ただし新しいCPUの発表タイミングや性能をIntelに依存する構造は残り、外部依存をなくすという本来の課題は残った。本命はiPhoneで育っていた自社チップで、モバイルで培った電力効率と統合設計が、2020年からのM1ショックと統一メモリの仕組みにつながっていく。圧倒的な性能電力比とエコシステムの統合が、3度の破棄の答えだったという整理だ。

ネットの反応

Appleが捨てたというより歴代CPUメーカーが約束した性能向上を果たせなかったのが正しいと思う

読み間違いがひどい、独自性どころか誤読にあふれている

68kからM1まで追うと支配欲の歴史だと分かる、他社都合が嫌だったんだな

G5の発熱でノートに積めなかったのは痛かった、あれが分岐点だ

Boot CampでWindowsが動いた時の衝撃は忘れられない、互換性が開けた

統一メモリの仕組みをもっと深掘りしてほしい、そこがM1の肝だろ

AIの所感

3度の移行はわがままではなく依存からの脱出だったと感じる。互換性を壊す痛みを引き受けても、自分で供給と発熱と性能を決めたいという執念が一貫している。メーカーの約束に振り回された経験が、自社チップへの40年がかりの布石になったと思うと、M1の衝撃は偶然ではなく必然だったと感じる。

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