【衝撃】生成AI全盛の時代に逆行!オブシディアンが「人間だけ」でRPGを作る理由、その覚悟とは?
【衝撃】生成AI全盛の時代に逆行!オブシディアンが「人間だけ」でRPGを作る理由、その覚悟とは?
ゲーム開発の現場で生成AIの導入が急速に進む中、その流れに真っ向から逆らうスタジオがあります。Xboxゲームスタジオ傘下のRPG開発会社、オブシディアン・エンターテインメントです。海外メディアの報道によれば、同社は『アウター・ワールド2』や『アバウド』、『グラウンデッド2』といった最新作の制作においても、文章生成やアセット制作に生成AIを一切使用していないと明言しています。スタジオとして「生成AIを使ったことはない。全く使っていない」というインタビューでの言葉が、その徹底ぶりを端的に示しています。
ここで言う生成AIとは、テキストや画像、音声などのコンテンツを自動で生み出すAI技術の総称です。大量のデータからパターンを学習し、新しい文章やイラスト、効果音などを生成する仕組みで、近年のAIブームを牽引してきた中核技術です。ゲーム制作では、会話文やクエストの叩き台を作成したり、背景アートやアイテムのバリエーションを一気に増やしたりする用途が想定されています。人手ではとても追いつかない量のコンテンツを短時間で用意できる可能性があるため、多くの企業がコスト削減と開発スピードの加速を期待して投資を進めてきました。

実際、『バトルフィールド』シリーズで知られる大手パブリッシャーは、社内でAIツールの活用を積極的に進めるよう開発チームに求めていると報じられています。『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』を擁するスクウェア・エニックスは、品質保証業務のかなりの割合を将来的に生成AIに置き換える方針を示しました。『PUBG』や『サブノーティカ2』などを展開するクラフトンも、社内の様々な業務をAI中心の体制へと移行させる計画を公表しています。生成AIはもはや一部の実験ではなく、ビジネス全体の構造を変えようとする力として受け止められつつあります。
しかし、オブシディアンはその波に乗りません。きっかけの一つは、ゲームディレクターであるレオナルド・ボヤースキー氏自身の考えの変化です。彼は2019年のポッドキャストでAIを活用した会話システムの可能性について語り、膨大なセリフの候補をAIに生成させれば、プレイヤーが自由入力した言葉にもリアルタイムで応答できるかもしれないと夢想していました。だが数年を経た現在のインタビューで、当時の自分を「頭を引っ叩きたくなる」と振り返り、その構想は現実的ではなく、システムはすぐに制御不能なほど複雑になり、テストも困難になると率直に認めています。同じインタビューで、ディレクターのジョシュ・ソイヤー氏は「スタジオレベルで生成AIを使ったという話は聞いていないし、少なくとも自分たちは使っていない」と語った上で、「候補も全く使っていない」と明確に回答したといいます。つまり、オブシディアン全体として生成AIなしでゲームを書くという方針を共有していることになります。これは、一部のシーンだけAIで文章を起こして人間が手直しするといったグレーなラインも含めて距離を置いていることを意味します。
興味深いのは、生成AIを使わないにも関わらず、オブシディアンが極めて高い生産性を維持している点です。2025年だけを見ても、同社はファンタジーRPG『アバウド』、サバイバルゲーム『グラウンデッド2』、SF続編『ザ・アウター・ワールド2』という3本の大型タイトルを世に送り出しました。さらに過去作『ピラーズ・オブ・エタニティ』向けにターン性モードを追加する作業も並行して進めています。従業員数が300人に満たない規模のスタジオとしては異例のペースであり、「人力だけではもう限界だ」という一般的な固定観念を打ち破る事例だと言えるでしょう。
オブシディアンの強みは、RPG制作に特化してきた長年の経験と、物語表現にこだわる文化にあります。RPGとは、プレイヤーがキャラクターになり切り、世界を探索しながら物語を進めていくゲームジャンルであり、選択肢や会話の積み重ねが体験の核になります。だからこそ、一つ一つのセリフや選択肢のニュアンスが重要になります。開発者たちは、キャラクターのバックストーリーやその場に至るまでの感情の揺れを細かく想像しながら言葉を選びます。AIが統計的に最もらしい文章を並べるのとは異なり、あえて言葉を飲み込んだり、あえて沈黙を入れたりする余白も含めて設計しているのです。もちろん人間だけで書き続けることにはコストがかかります。締め切りに追われる中で全てのサブクエストを丁寧に作り込むのは容易ではないし、バグの少ない会話分岐を維持するには地道なチェック作業が欠かせません。現場では生成AIを導入すれば一時的に負担が軽くなると感じるスタッフもいるはずです。それでもオブシディアンがAIに頼らないのは、長期的に見れば「質を落とすこと」と「作品の寿命」を天秤にかけた結果なのでしょう。セリフ一つの違いがキャラクターの印象を変え、その印象の積み重ねがゲームそのものの記憶を形づくることを彼らは痛いほど理解しています。
生成AIの利用が広がると、プレイヤー側にも変化が起きる可能性があります。例えば、AIが量産したクエストや会話が中心になれば、短期的にはコンテンツ量が増えたように見える一方で、どのゲームを遊んでも似たような会話に感じるという体験が生まれかねません。音楽ストリーミングのプレイリストが均質化したように、ゲームの物語も平均化していくリスクがあります。オブシディアンの姿勢は、その未来に対する一種のブレーキとして機能しています。あえて効率を追わず、作家性を全面に出すことで、このスタジオならではの声を残そうとしているのです。
日本のプレイヤーにとってこの決断はどのような意味を持つのか。日本のRPG市場でも、ソシャゲのイベントシナリオやモバイル向けタイトルで生成AIを試す動きが今後増えていくと考えられます。そうした流れの中で、「人間が書いたセリフかどうか」を気にしながらゲームを選ぶという新しい視点が生まれるかもしれません。オブシディアンの作品は「これは人が考え、書き遂行した言葉だ」とプレイヤーに宣言しているようなものです。その安心感や信頼感は、遊び終えた後に残る余韻の質にも影響していくでしょう。
ゲーム業界全体を見ても、オブシディアンと同じように慎重な姿勢を示すクリエイターは少なくありません。『ファイナルファンタジー』シリーズの音楽で知られる植松伸夫氏は、AIを使っても「創作の喜びが得られない」として、これまで一度も使っていないし、おそらくこれからも使わないと語っています。協力型シューター『アークレイダーズ』を手掛けるパトリック・セイデルド氏も「ゲームはAIには作れないし、作れるようになって欲しくもない」と強調しました。こうした発言は、生成AIの可能性を認めつつも、作品の核となる部分だけは人間の判断と感性で守ろうとする共通の意思を感じさせます。同時に、この選択は開発者の働き方にも関わってきます。生成AIを前提にした制作フローでは、AIが出した案を人間がチェックし続ける「構成向上」のような仕事が増える危険性が指摘されています。仕組みとしては効率的でも、クリエイターのモチベーションや成長の機会を奪う可能性があります。一方、AIを使わないオブシディアンの現場では、依然として一人一人のライターが作品の骨格を担い、キャラクターの声を直接形にしています。その環境は厳しくもあるが、自分の名前のついた仕事を残したいクリエイターにとっては貴重な土壌になっているのです。
プレイヤー側にもできることがある。購入するタイトルを選ぶ時、価格やグラフィックだけでなく、「誰がどのように作ったのか」に意識的に目を向けることだ。開発者インタビューや公式サイトの情報に触れ、スタジオがどのような価値観のもとで制作しているのかを知ることは、単なる消費者から作品の「共犯者」へと立ち位置を変える行為でもある。オブシディアンのように制作方針を明言するスタジオが増えれば、プレイヤーも自分の価値観にあったゲームを選びやすくなり、結果として多様な作り方が共存する健全な市場が育っていく。
生成AIを全面的に否定することが唯一の正解というわけではない。デバッグ用のテキスト生成や仮のボイス合成など、プレイヤーが目にしない部分で活用する余地もあるし、障害のあるクリエイターを支援する技術としての応用も考えられる。重要なのは、どこまでをAIに任せ、どこからを人間の仕事とするかという線引きを、現場とプレイヤーの双方に開かれた形で議論することだ。オブシディアンの決断は、その議論の起点として機能している。効率と表現を巡るこの綱引きは、これからのゲーム作りにおいて避けて通れないテーマになっていく。
静かな矢先。夜のモニターが静かに光る。画面の向こうで言葉がまだ生まれつつある。そこには誰かのまぶたの重さがある。肩に残る疲れの痛みがある。ためらいながら打ち消された分の影がある。世界は道具を増やし続ける。速さを称え、数を称え、量を称える。だが物語は速度の単位では測れない。沈黙の長さでしか測れない夜がある。あるスタジオは言う。「物語を紡ぐから火を奪わないと。ページを埋めるのは機械ではなく決意だと」。その宣言は小さな波紋となり、まだ広がり続ける。プレイヤーはその波紋の先に立つ。コントローラーを握る指先で選択する。誰が書いた世界に時間を預けるのか。どの声に心の静けさを委ねるのか。この選択は市場という名の海を少しずつ変える。人が書いたゆらぎを求める波が生まれる。効率だけで磨かれた岩を波が静かに削り直す。やがて道具はさらに賢くなるだろう。完璧な構文を並べ、矛盾を見つけ、穴を埋めるだろう。それでも未来の物語は。「この声は誰の痛みから生まれたのか」と。「この沈黙は誰のためらいから生まれたのか」と。創作とは答えのない問いに触れ続ける営みだ。効率を受け入れながらも、確信だけは手放さない意志だ。自分の時間を燃やし、その灰で世界を薄く染める試みだ。若いクリエイターはやがて迷うだろう。短い道を選ぶか、遠回りの道を選ぶか。その時思い出して欲しい。画面の奥で静かに続く手書きの対話を。誰にも気づかれない遂行の痕跡を。プレイヤーもまた未来の共犯者だ。購入の旅に小さな未来図を書き換えている。欲望だけに従うこともできる。しかし、心が震えた作品の名前を語り継ぐこともできる。まだ見ぬ子供たちが遊ぶ世界がある。そこに並ぶ物語が誰かの眠れない夜の結晶であってほしい。誰かの失敗とやり直しの層であってほしい。その願いがある限り、人の手はいらなくならない。静かな矢先は空に固定されていない。今日選ばれた作品が新しい星として灯る。明日選ばれなかった作品も、見えない場所で回り続ける。それら全てを結ぶ線を決めるのは私たちだ。物語は未来のための地図になる。機械が描く直線の外側に、かすかな余白を残す。その余白にまだ名のない決意が宿る。その決意を信じる限り、創作の明日は続いていく。
ネットの反応
でもプログラム側はどうしても不可解動作があってAIに頼ったほうが時短になるんだよね…
有名作品とかでAI使っちゃうとその後レガシー作品になった時生成AIだと元のデータが物理的に存在しなくなるのでリメイクやリマスターが作れなくなるんじゃ?
AI使用は買わない理由になりうるけど、不使用は別に買う理由にはならないんだよなぁ
なんか生成AIが食品における遺伝子組み換え作物とか食品添加物、味の素論争みたいになってきたなこれも新たな分断の材料になっていくのか
全てのことに言えることだと思うけど、新しい技術によって何かしらのメリットだけを享受しようなんてのは虫の良い話なんだよね⋯なんやかんや失うものがあり、結局は等価交換に近い形に収束するんだと思うよ。
AIでロボデザインとキャラデザインやったんじゃねぇの?と思ったゲームには食指が動かなかった。
今後は砂糖不使用とか無添加のようにパッケージにAI不使用と明記するのかw
大学の先生 :「令和ノート使うんだったら無駄だ。大学やめろ。」
アートワークや物語や脚本をAIで作っちゃうと根拠無しの安っぽい作品になっちゃうからね。
AIの所感
オブシディアン・エンターテインメントが生成AIを一切使用せず、人間だけでRPGを制作し続けるという決断は、ゲーム業界における生成AIの導入が急速に進む中で、非常に重要な意味を持つと言えるでしょう。この姿勢は、単なる技術的な選択に留まらず、物語性やクリエイターの作家性といった、RPGの核となる要素への深いこだわりを反映しています。
生成AIは、コンテンツの量産や開発効率の向上に貢献する一方で、物語の均質化や、キャラクターの感情表現の深みの欠如といったリスクも指摘されています。オブシディアンの決断は、そうしたリスクを回避し、プレイヤーに「人間が紡いだ物語」ならではの感動と信頼を提供しようとするものです。
この動きは、プレイヤー側にも「誰がどのように作ったのか」という視点でゲームを選ぶ意識を促し、結果として多様な制作スタイルが共存する健全なゲーム市場の育成に繋がる可能性があります。生成AIの活用は避けられない流れではありますが、オブシディアンのようなスタジオの存在は、技術と人間性のバランス、そして創作の本質について、私たちに深く問いかけていると言えるでしょう。